腰椎麻酔ショック事件(最判裁平成8年1月23日判決)| 医療事故 医療過誤 / 弁護士法人ALG&Associates

腰椎麻酔ショック事件

最判裁平成8年1月23日判決

腰椎麻酔ショック事件(最判裁平成8年1月23日判決)

文責:弁護士 真鍋 敬治

事案の概要

1 X(患者,当時7歳)は腹痛と発熱を訴えてH病院に救急搬送され,虫垂炎と診断された。そこで,Y医師は虫垂切除術を施行することとした。
YはXに対し腰椎麻酔剤(0.3%ペルカミンS,以下「本件麻酔剤」)を脊髄クモ膜下腔に注入し,看護師AにはXの顔面等を監視するように,また看護師Bには脈拍を常時,及び血圧を5分ごとに測定するように指示をした。
その後Yは手術を開始したが,Yが虫垂根部をペアン鉗子で挟み腹膜あたりまで牽引したとき,突然Xは悪心を訴えた。YはXに声をかけたが反応なく,Xはほどなく意識を失った。
Yや応援に駆け付けた医師らにより直ちに蘇生術が施行されたもののXは心停止に陥った。Xが最初に悪心を訴えてから心停止に陥るまでの時間は約2分である。
心停止後もYらは懸命に蘇生術を継続し,Xの自発呼吸及び心拍は再開したがXには重篤な脳機能障害が残った。

2 本件において,YがBに対し指示した血圧の測定間隔は5分であり,それは当時の医療慣行に沿うものであった。もっとも,本件麻酔剤の添付文書には,使用上の注意事項として注入後10~15分までは2分間隔での血圧測定が必要である旨が明記されていた。そのため,Yが5分間隔と指示したことが過失に当たるかが問題となった。
また,Xに重篤な脳機能障害が残った医学的機序,およびYがBに2分間隔の指示を出していればこの脳機能障害を回避できたかが問題となった

事実経過(時系列)

0:30頃 Xが腹痛と発熱を訴えて,救急車でH病因に搬送される
15:40 化膿性又は壊疽性の虫垂炎に罹患しており,虫垂切除術が必要と診断される
16:25 Xが手術室へ運ばれる
・Yが執刀
・看護師3人(A,B,C),看護補助1人(D)を配置
(A:顔面等監視 B:常時脈拍及び5分ごとに血圧測定 D:連絡係)
16:28 血圧:112/68 脈拍:78
16:32頃 腰椎麻酔剤(0.3%ペルカミンS,以下「本件麻酔剤」)注入
16:35 血圧:124/70 脈拍:84
16:40 血圧:122/72 脈拍:78
血圧測定後,手術開始
16:44~45頃 虫垂根部をペアン鉗子で挟み腹膜あたりまで牽引

Xが「気持ちが悪い」と悪心訴え
Bが「脈が遅く弱くなった」とYに報告
Yが「どうしたぼく,ぼくどうした」と声をかけるもXの反応なし

Xの様態は,顔面蒼白で唇にチアノーゼ様のものが認められ,呼吸はやや浅く意識はなかった
Bが「血圧は触診で最高50」とYに報告
16:45頃 Yが手術中止
看護補助者Dが電話で応援を呼ぶ
YがXに酸素マスク着用させ,バグを握縮加圧して自発呼吸に合わせて気管内に酸素を圧入する

次第にバグの加圧に抵抗が生じ(換気抵抗が大きくなり)酸素の入りが悪くなる

昇圧剤を静脈に注射
心電図のモニターによる監視開始
→不規則で心室性の期外収縮がみられ,心室細動はなし

漸次自発呼吸がなくなっていく
16:46頃 応援医師駆け付け(要請から約1分でZ1が駆け付け,さらにその約1分後にはZ2も駆け付けた)
自発呼吸はほとんどなくなる
心電図モニターは不規則・低電位であり,心室細動に移行する前段階の状態となる

Z1が経胸壁心臓マッサージ開始
副腎皮質ホルモン剤静注・ノルアドレナリン点滴注入

Z2が気管内チューブの気管内挿管を実施
 →挿管後もバグの加圧抵抗は減少せず
16:47頃 心停止

ノルアドレナリンを心臓腔内に直接注入

Z1が肺の聴診
→喘息様の音より気管支痙攣と推測

ボスミン右上膊に筋注
16:55少し前 心拍再開
自発呼吸も徐々に回復
16:55 血圧:90/58 脈拍:120→以後,血圧,脈拍ともに安定
17:20 手術再開
17:42 手術終了
術後の様態 脳機能低下症による重篤な後遺障害が残る

認定された医学的機序

1 前提知識

本件麻酔剤であるジブカインにより心停止に陥る原因として,①腰麻ショック,②迷走神経反射によるショック,③アナフィラキシーショック,④高位腰麻によるショックの4つが考えられる。なお,原審において,原告は腰麻ショックが原因であると主張し,被告は迷走神経反射によるショックが原因であると主張している。

  1. (1) 腰麻ショック
    腰麻剤の影響により血圧が段階的に降下し,脳への血流が減少して脳中枢が低酸素症に陥り,続いて呼吸抑制,呼吸停止となり,ついには心停止にまで至るショック状態をいう。
    この血圧降下の機序は,
    • ①腰麻剤により交感神経がブロックされて末梢血管が拡張し、その抵抗が下がって血圧が下がる
    • ②末梢血管が拡張すると、その血管内に血液が貯留されて心臓への静脈還流が減少し、心拍出量が減少して血圧が下がる
    • ③交感神経がブロックされて筋肉が弛緩し、血液を絞り出す作用が低下して、静脈還流が減少し、血圧が下がる
    • ④麻酔の果がある程度以上の高さになると、心臓にいく交感神経がブロックされ、心拍数が減少して血圧が下がる
    というものである。
  2. (2) 迷走神経反射によるショック
    腰麻剤のため自律神経の一方である交感神経がより強度に抑制され,そのため他の一方の副交感神経である迷走神経が相対的に優位になった状態で,腹膜刺激,腸管牽引などの手術操作による機械的刺激が加わった場合に,迷走神経反射が起こり,急激な徐脈,血圧降下,呼吸抑制を来すことをいう。
    副交感神経が優位になると気管支痙攣の発生しやすい状態になり,これによる低酸素症は迷走神経反射をさらに増強させ,ついには心停止,脳死に至ることもあり得る。
  3. (3) アナフィラキシーショック
    一般に抗原によって感作された個体に同一抗原を再度投与することによって見られる即時型反応のうち,急激な全身症状を伴うものをいう。
    皮膚の発赤,じんま疹様発疹,掻痒感,顔面と眼瞼の浮腫,声門浮腫,気管支痙攣が生じ,血圧低下,徐脈,呼吸困難となり,治療に反応しないときは心停止に至ることもある。
    もっとも,一般に本件麻酔剤の主成分である塩酸ジブカインによるアナフィラキシーショックは極めて稀である。
  4. (4) 高位腰麻
    脊髄くも膜下腔内に注入された麻酔剤が脳脊髄液中で拡散され,麻痺高が乳線以上に及ぶ場合を高位腰麻といい,これがために呼吸筋(肋間筋,横隔膜)が麻痺して,呼吸抑制,呼吸停止を来すことを高位腰麻ショックという。
    高位腰麻によるショックに陥ると一時間程度は自発呼吸が戻らない。

2 最高裁が認定した機序

  • 16:32
    本件麻酔剤の影響により注入直後から徐々に呼吸が抑制され,また入院当初からの上気道炎による発熱も加わって,Xの換気量が減少した
  • 16:40
    執刀開始前にBが血圧を測定し,執刀開始後から血圧が低下傾向になり始め,低酸素症状態になった
  • 16:44~45
    Yによる虫垂根部の牽引という機械的刺激を機縁として迷走神経反射が発生し,徐脈,急激な血圧低下を起こした
  • 16:46~47
    低酸素症が迷走神経反射を増強し,そのことが気管支痙攣を発生させ換気不全となり,心停止に陥った
    ↓(7~8分)
  • 16:55
    心拍・自発呼吸は再開したが,脳機能低下症により重篤な後遺症が残った
理由
  • ①アナフィラキシーショックを否定
    ∵同ショックの症状(全身発赤・掻痒感・顔面眼瞼浮腫)が認められない,そもそも極めて稀な症状
  • ②高位腰麻を否定
    ∵本件麻酔剤注入直後,Yは麻酔高が剣状突起の下2~3センチメートルのところであることを確認しているうえ,Xが心停止に陥った約10分後には再び自発呼吸が回復している
  • ③虫垂根部をペアン鉗子で挟み,腹膜のあたりまで牽引したとき,Xが急に「気持が悪い」と悪心を訴え,それとほぼ同時に看護師BがXの脈が遅く弱くなったことをYに報告している
  • ④16:45の異常発見時には既に唇にチアノーゼ様の症状が認められたところ,このことは数分前から低酸素状態にあったことを意味する

主要争点

1 過失に関して

本件当時の医療慣行によれば腰椎麻酔時に必要とされる血圧測定は5分間隔であったが,本件麻酔剤(0.3%ペルカミンS)の添付文書には注入後10~15分までは2分間隔で測定することが必要である旨の記載がなされていた。そこで,Yが添付文書ではなく医療慣行にしたがって5分間隔で血圧を測定するよう看護師に指示したことが過失に当たるか,いわば,医療慣行にしたがっていれば医療水準を満たすといえるかという点が問題となった。(「医療水準」と「過失」の関係については,「第7 補足」の「1 昭和36年判例」,「2 昭和57年判例」を参照ください。)

2 因果関係に関して

Yが血圧測定間隔を5分と指示したこととXの脳機能障害との間に因果関係が認められるか,すなわち,仮にYが2分間隔という指示を出していればXの脳機能障害は防げたかという点が問題となった。

原審の判断(名古屋高裁平成3年10月31日判決)

1 過失について

過失は認められる。
理由
当時は5分間隔というのが一般開業医の常識であったことなどを認定し,当時の医療水準を基準にする限り過失には当たらない。もっとも,医師には薬剤を使用するにあたってその薬剤の添付文書に記載された注意事項を遵守する注意義務は当然にあるとして,この注意義務に反し過失があったと認定した。

2 因果関係について

因果関係は認められない。
理由
Xが悪心を訴えるまで顔面等監視役の看護師Aも脈・血圧測定役の看護師BもXの異常に気付けなかったのであるから,仮にBが2分間隔で血圧を計測していたとしてもXが悪心を訴えるより以前に異常を発見できていたとはいえない。

最高裁の判断

1 過失について

過失は認められる。
理由

  • ①医療水準は医療慣行とは異なる。したがって,医療慣行に即していたからといって,医療水準も満たしていたとはいえない。
  • ②製造業者・輸入業者が当該薬品の危険性について最も高度な情報を有していることからすれば,合理的理由がない限り医療水準を基にすれば2分間隔で測定すべきである。
  • ③2分間隔での血圧測定は,看護師を一人配置するだけで実施可能である。

2 因果関係について

因果関係は認められる。
理由
チアノーゼは迷走神経反射そのものによるものではなく潜在性の腰麻ショックによる低酸素症を機縁とするものでありXは16:40頃から血圧低下傾向にあった以上,16:42-43に血圧を測定していれば異常に気付けたといえる。そして,異常に気付いていれば手術は即中止され虫垂根部を牽引することもなく,したがって迷走神経反射ショックを発生させることもなかった。

補足

1 昭和36年判例(最高裁昭和36年2月16日判決)

医師に求められる注意義務は「その業務の性質に照し,危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務」であるとした。
なお,「注意義務の存否は,もともと法的判断によつて決定さるべき事項であつて,仮に所論のような慣行が行なわれていたとしても,それは唯だ過失の軽重及びその度合を判定するについて参酌さるべき事項であるにとどまり,そのことの故に直ちに注意義務が否定さるべきいわれはない」とも述べている。

2 昭和57年判例(最高裁昭和57年3月30日判決)

昭和36年判決が述べた「最善の注意義務」の基準となるのは「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」であるとした。

3 平成7年判例(最高裁平成7年6月9日判決)

絶対説(医療水準は医療機関の特性等を考慮せず一律に判断されるものであるとする考え方)ではなく相対説(医療水準は医療機関ごとにその特性等を考慮して判断されるものであるとする考え方)を採ることを明らかにした。
また,当該事例において医療水準を判断するには「当該医療機関の性格,所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべき」とした。

4 本判例

医療慣行と医療水準は異なることを確認した判例である。

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