医療訴訟における過失の特定(最高裁平成21年3月27日第二小法廷判決) | 医療事故 医療過誤 / 弁護士法人ALG&Associates

医療訴訟における過失の特定(最高裁平成21年3月27日第二小法廷判決)

医療訴訟における過失の特定(最高裁平成21年3月27日第二小法廷判決)

弁護士・医学博士 金﨑 浩之

過失の特定の難しさ

医療訴訟では、医師が行った当該診療行為(仮にこれをAとします)が不適切であることを指摘するだけでは過失の主張として十分ではなく、医師として本来行なうべきであった適切な診療行為(仮にこれをBとします)が何であったのかを注意義務として特定することが求められると一般的には理解されてきました。要するに、「医師が行ったAという診療行為は不適切であるから、医師には過失がある」ではなく、「医師はBという診療行為を行うべき注意義務があった。然るに、この注意義務を怠った過失(Bを怠った過失)がある」というロジックになるのです。ここでは、Aという不適切な医療行為を行ったことが問題の本質ではなく、Bを行なうべきであるのに、Bを行わなかった注意義務違反が問題の本質として位置づけられることになります。このAとBの関係は、一見コインの裏表のようにもみえますが、実は論理必然ではありません。Aという行為が明らかに不適切だとしても、当然にBを行なうべきであったとは言えないからです。もしかしたら、医師が行なうべき適切な診療行為は、Bではなく、Cだったかもしれないし、Dだったかもしれないし…エトセトラだからです。 しかし、医師の行うべき診療行為として、CやDではなく、Bでなければならない、と主張・立証することは容易ではありません。なぜなら、本来実施されるべき診療行為は基本的に医師の裁量に属する事柄で、一義的に定めることが困難だからです。しかし、だからといって、現に医師が行った診療行為に問題があるのに、本来行うべき診療行為の内容を具体的に特定できないからといって過失の存在が否定されてしまうのは不合理です。そこで、注意義務の特定を緩和する必要性があります。この点に関して判示したのが最高裁平成21年3月27日判決です。

事案の概要と下級審の判断

事案の概要は、次のとおりです。骨折した患者に対して、手術が施行されることになりました。その際、麻酔医は、患者に対し、プロポフォール、塩酸ケタミン等で全身麻酔をかけるとともに、塩酸メピバカインによる局所麻酔(硬膜外麻酔)をかけました。医学的知見によれば、局所麻酔である硬膜外麻酔は、末梢血管拡張などの機序により血圧を低下させるところ、全身麻酔との併用投与により薬物の相乗効果で、血圧低下を増大させるということでした。また、高齢者はこのリスクを増大させる危険因子ともされていました(本件患者は当時65歳)。このようなことから、プロポフォールの能書には、高齢者に対して、局所麻酔と併用投与する場合には、投与速度を減ずるなど慎重に投与すべきと記載されており、また、塩酸メピバカインの能書には、高齢者への投与は減量を考慮するなどの慎重投与と記載されていたのです。ところが、先の麻酔医は、ガイドライン記載のほぼ上限量を投与し、患者の血圧が下がっても昇圧剤で対応し、投与量の減量もしなかったと認定されています。そして、患者は術中に血圧低下で心停止し死亡してしまいました。1審は、この麻酔医が現に行ったこの投与方法(仮にAとします)について、不適切ではなかったと判断して過失なしとし、原告の請求を棄却しました。つまり、医師が行ったAという行為を不適切ではないとしたのです。これに対し、原審(2審)は、この麻酔医が行った投与は不適切(過剰投与)であったと認定しましたが、どの程度に減量すべきかについては担当麻酔医の裁量に属するとしたうえで、減量により患者の血圧低下・心停止や死亡を回避できたと認める資料がないとして、「患者の死亡を回避するに足る具体的注意義務の内容、すなわち、死亡との因果関係を有する過失の具体的内容を確定することができない」として、麻酔医の過失の存在を否定しました。もっとも、相当程度の延命可能性の侵害を認めて、約500万円の賠償を命じたのです。

下級審判例の分析

1審は、端的に麻酔医が行った投与行為Aを不適切ではないと判断しました。したがって、過失の特定が不十分としたわけではありません。 興味深いのは2審(高裁)です。高裁は、この麻酔医が行った投与行為Aは不適切であったと認定したうえで、死亡の回避可能性がある具体的な注意義務Bを特定できないとして、過失の存在を否定しています。まさに、この2審が、過失の特定の困難さを物語っております。実際に行われた投与量は不適切であるが、適切な投与量を特定できないということです。 ところで、この2審については注意が必要です。過失を否定しておきながら、延命利益の侵害は認め、一定の賠償を認めたからです。本来、この延命利益の侵害を根拠に医師の責任を肯定する相当程度の可能性理論は、過失が肯定されたことを前提に、因果関係が否定された場合の患者に対する救済策です。 ところが、本件では、過失を否定しておきながら、この理論を適用しています。 考え方としては、次の2つが考えられます。 1つは、Bという具体的な注意義務の特定がないから 死亡結果との因果関係を有する過失は否定するが、不適切な投与(A)は過失と評価できるので、このAとの関係で相当程度の可能性理論を適用したものと理解する。 もうひとつは、仮にAが不適切であったとしても、具体的な注意義務(B)の特定がない以上、全体として過失の存在は否定されるが、被害者保護の見地から相当程度の可能性理論を適用するのが相当な場合がある。過失の存在は否定されても、不適切な診療行為は存在するからである。 この2つの考え方は、いずれにしても、従来の考え方とは大きく異なるという点で興味深い裁判例です。なぜなら、前者の場合は、過失を主張するのに、具体的な注意義務の特定は必ずしも必要ないことになるのに対して、後者の場合は、過失が否定されても、医師に責任が生じる場合があることになるからです。後者は、かなり過激な考え方だと思います。高裁のロジックは、おそらく前者ではないかと推察されますが、後者とみる余地も皆無ではありません。というのも、高裁は、麻酔医の投与行為(A)を不適切としましたが過失とは明言していないことに加え、麻酔医の採るべき注意義務の具体的内容が特定されていないことも含め、過失自体を否定しているようにも読めるからです。前者であれば、過失を一部肯定していることになるので、従来の理論(過失あり→因果関係なし→相当程度の可能性理論)との整合性は一応保たれております。 いずれにせよ、結論の妥当性は兎も角、その理論構成は分かりにくいものとなっています。

最高裁判例(最高裁平成21年3月27日第二小法廷判決)

最高裁は、「(投与量を)いかなる程度減量すれば、心停止及び死亡の結果を回避することができたといえるかが確定できないとしても、単にそのことをもって、死亡の原因となった過失がないとすることはできない」として、過失の存在を肯定するとともに、因果関係も肯定しました。 もっとも、麻酔医が現に行った投与(A)自体を過失として位置づけ、その過失と死亡結果との因果関係を認めたわけではありません。最高裁は、「投与量を調節すべきであるのにこれを怠った過失がある」として、この過失と死亡結果との因果関係を認めるというアプローチを採用しているからです。注意義務の内容は、投与量を調節すべき義務(B)であり、それ以上の具体的な特定を求めませんでした。 この最高裁判例の意義は、結果回避可能性との関係で意味をもつ過失の内容として、具体的な特定を要求しなかったことから、注意義務の特定の要件を緩和したものと解されます。決して、特定を不要とした趣旨ではありません。本件では、具体的な投与量ではなく、投与量を調整すべき注意義務で足りるとしたわけです。

緩和された注意義務と因果関係

もっとも、医師がなすべき注意義務の特定が具体的でなくてもよいとすると、因果関係の存否は、どのようにして認定できるのでしょうか。伝統的な因果関係理論に従えば、仮に適切な診療行為が尽くされたならば、当該結果(本件では患者の死亡)を避けられた高度の蓋然性が認められることが要件となります。 本件に即して考えると、当該麻酔医が投与量を調整すべきだったとしても、具体的な投与量を確定することなしに、患者の死亡結果を避けられたか否かを判断することは必ずしも容易ではありません。投与量を減量しても結果を避けられない投与量があるはずだからです。そうだとすると、たとえ投与量を調節したとしても、結果は避けられなかった可能性があるとも言えるので、高度の蓋然性までは認められないとすることも可能です。 この点については、次のように考えることができるのではないかと思います。あくまでも思考実験ですが、究極的な減量は投与しないことです。投与しなければ、この患者は確実に死亡しなかったと言えるからです。もちろん、手術を実施する以上、全く投与しないというわけにはいかないと思いますが、致死的な投与量と全く投与しない不投与との間のどこかに、致死的ではない投与量があるはずです。その致死的ではない投与量と結果回避可能性と間には、高度の蓋然性があると評価できるのではないでしょうか。 このように考えることができれば、最高裁が緩和された注意義務と結果との間の因果関係を認めたのは妥当と評価できます。

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