北海道大学医学部付属病院電気メス事件 | 医療事故 医療過誤 / 弁護士法人ALG&Associates

北海道大学医学部付属病院電気メス事件

北海道大学医学部付属病院電気メス事件

弁護士・医学博士 金﨑 浩之

チーム医療における信頼の原則

複数の医師、看護師等の医療従事者がチームとなって診療行為に当たる場合において、信頼の原則は適用されるのかが訴訟で争点となることがあります。 チーム医療における信頼の原則とは、チーム医療に参加している各医療従事者は、他の医療従事者が適切な診療行為を行っていることを信頼し、その信頼を前提として自らが担当した診療行為において注意義務を尽くせば足りるという法理です。この信頼の原則がチーム医療に適用されると、他の医療従事者が不適切な診療行為に及んでいる可能性についてまで注意を向ける義務はないということになり、あくまでも自分が担当していることについてだけ注意義務を尽くしていれば、過失責任を問われることはないということになります。 ところで、チーム医療における信頼の原則の問題は、この法理がチーム医療に適用されるか否かというオール・オア・ナッシングの議論ではなく、結論から言えば、ケース・バイ・ケースです。適用すべき事例もあれば、適用すべきではないという事例もあります。 しかしながら、チーム医療においては、通常は、指導医、主治医、研修医、看護師等の様々な地位からなるピラミッド構造が形成されているので、自分が担当していることだけ注意すれば足りるとは考えがたく、信頼の原則が適用される場面は相当限定されると思われます。 ちなみに、信頼の原則が裁判で争点となるケースのほとんどが刑事裁判です。というのも、刑事裁判では、個人毎にチーム医療に参加した医療従事者の過失責任の有無が問われるからです。ところが、民事の医療過誤訴訟においては、チーム医療に参加している者の誰かに過失が認められれば、病院の責任を認めることができるので、この信頼の原則が正面から議論されることはありません。もっとも、特定の医療従事者を選択して訴えるような場合には、争点になる余地は十分あると思います。

裁判例の傾向

チーム医療における信頼の原則が争点となったものでは、北海道大学医学部付属病院電気メス事件(札幌高判昭和51年3月18日、札幌地判昭和49年6月29日)、埼玉医科大学付属病院抗癌剤過剰投与事件(最判平成17年11月15日、東京高判平成15年12月24日、さいたま地判平成15年3月20日)、横浜市立大学付属病院患者取り違え事件(最判平成19年3月26日、東京高判平成15年3月25日、横浜地判平成13年9月20日)が有名です。いずれも、医師らの刑事責任が問われた事件です。 このうち、信頼の原則を適用して被告人の医師を無罪としたのは、北海道大学付属病院の電気メス事件だけで、埼玉医大と横浜市大の事件では、信頼の原則の適用が否定され、医師らに有罪判決が下っております。 そして、北海道大学医学部付属病院電気メス事件は、かなり古い事件ではあるのですが、無罪判決を出している点では異彩を放っており、慶應義塾大学の井田良教授は、「信頼の原則を適用して過失の否定を導いた、唯一の高裁判例」と評しております(「医事法判例百選第2版、152頁」)。 そこで、この北海道大学医学部付属病院電気メス事件を中心に、チーム医療における信頼の原則の適否について分析したいと思います。

札幌高判昭和51年3月18日

事案の概要

北海道大学付属病院で、動脈管開存症の幼児に対して手術が施行されたところ、手術自体は成功したものの、看護師による電気メス器の誤接続により、患児の右下腿に重度の熱傷を生じさせ、右下腿が切断されました。
そして、この看護師と執刀医が業務上過失傷害罪で起訴されました。 1審は、看護師に対しては、ケーブルの誤接続について、有罪判決を下しましたが、執刀医については、信頼の原則を適用し、ケーブル接続の点検確認を行なうべき注意義務を否定して無罪を言い渡しました(札幌地判昭和49年6月29日)。 この無罪判決に対して、検察官が控訴しました。なお、看護師も控訴しておりますが、控訴は棄却されております)。

札幌高裁判例のポイント

札幌高裁も、1審判決と同様に、信頼の原則を適用して、検察官の控訴を棄却しました。 では、本件で札幌高裁が信頼の原則を適用したポイントは何でしょうか。そのポイントは、次の2つに要約できます。 ① 電気メスのケーブルの接続は、極めて単純容易な補助的作業に属するものであったこと
② 担当した看護師は、経験を積んだベテランの看護師であったこと
この2点を重要なポイントとして、執刀医が当該看護師の作業を信頼したことは、当時の具体的状況に照らし、無理からぬものであったと判断したのです。

埼玉医大抗癌剤過剰投与事件との整合性

この事件では最高裁判例が出されていますが、被告人全員に対して有罪判決が言い渡されています。この最高裁判例と北海道大学付属病院電気メス事件の高裁判例の内容は整合するものなのでしょうか、それとも矛盾するものなのでしょうか。 私個人の見解としては、整合するものと評価しております。 埼玉医科大学付属病院で起こった抗癌剤過剰投与事件では、次のような事実が認定されています(最判平成17年11月15日)。患者さんが罹患していた骨膜肉腫という疾患が稀な疾患であり、摘出手術に関与したチーム医療の関係者の中に、この疾患の経験者がひとりもいなかったのです。このような事情の下で、主治医は、当時経験5年目の医師に過ぎなかったそうです。研修医ではありませんが、臨床経験が5年目の医師ですから、お世辞にも経験豊富なベテランの医師とは言えないでしょう。そして、この若き主治医は、VAC療法という抗癌剤治療のプロトコールを文献で調べたのですが、「Week」の文字を見落として、日単位と読み間違え、週単位で投与すべき抗癌剤を連日投与してしまったのです。その結果、患者さんは、副作用による多臓器不全で死亡してしまいました。ところが、この主治医の上の立場にいた指導医と教授は、この主治医の治療方針を信頼し、自らプロトコールや添付文書を確認していませんでした。 この埼玉医科大学の事件が、北海道大学付属病院の事件と本質的に異なるのは、患者さんの疾患が稀なものであり、チーム医療に参加している医師の中に経験者がいなかったことです。関与した医師全員が未経験者だったのですから、指導医や教授が主治医の治療方針に対して信頼を置くベースがなかったのです。要するに、関与する医師全員が、慎重に対応すべき症例だったといえます。これに対し、北海道大学付属病院の事件は、看護師が経験豊富なベテランで、しかもその作業は極めて単純容易な補助作業に過ぎなかったことから、医師がこの看護師に信頼を置いたのはやむを得ないと判断されたのです。

横浜市大付属病院患者取り違え事件との整合性

この事件も最高裁判例が出ており、被告人全員が有罪となっております。 もっとも、こちらの事件は、埼玉医大の事件よりも少々複雑です。というのは、1審は、被告人のうち、ひとりの麻酔医に対してのみ無罪を言い渡したからです(横浜地判平成13年9月20日)。つまり、この麻酔医については、信頼の原則を適用したのです。これに対して、東京高裁と最高裁は、この麻酔医に対しても、逆転有罪としました(東京高判平成15年3月25日、最判平成19年3月26日)。 では、なぜ1審は、この麻酔医を無罪としたのでしょうか。 事案は、患者さんを取り違えて、心臓手術が予定されていた患者さんに対して肺癌手術を行い、肺癌手術が予定されていた患者さんに対して心臓手術を行ってしまったというものです。要するに、2人の患者さんに対し、それぞれ不要な手術を行ってしまったことになります。 この2つの手術のうち、心臓手術側を担当していた麻酔医だけが、患者さんの取り違えの可能性に気づきました。そして、患者の取り違えの可能性を疑ったこの麻酔医は、他の医師らに対しても疑問を呈し、かつ看護師に病棟に問い合わせをさせるなどの措置を採りました。それなのに、患者さんを取り違えたまま、手術は実施されてしまいました。したがって、責任の所在は、この麻酔医にではなく、この麻酔がせっかく疑問を呈したにもかかわらず、その機会を無駄にしてしまった他の医師らにあると評価され、この麻酔医だけが無罪となりました。 ところが、2審の東京高裁は、麻酔導入後の疑問提起等について、「それだけでは十分に注意義務を尽くしたとは言えない」とし、また、最高裁は、「一定程度の確認のための措置は採ったものの、確実な確認措置を採らなかった点において過失があるというべきである」として、有罪判決を言い渡したのです。 確認措置を採らなかった北海道大学付属病院の執刀医に対しては過失を否定して無罪を言い渡し、確認のための一定の措置を採った横浜市大付属病院の麻酔医を有罪としたのは矛盾しないでしょうか。 これも、私の見解としては、両判例に矛盾抵触はなく、整合するものと考えております。北海道大学のケースは、担当の看護師がベテランで、かつ担当させていた業務の内容も簡単な補助作業だったわけです。したがって、ここでミスが起こるとは通常考えにくく、当該看護師を信頼したのはもっともだと言えます。 しかしながら、横浜市大のケースは、麻酔医だけが患者取り違えの疑いを持ったわけです。もし本当に患者の取り違えが起こっていたら、これは一大事です。せっかく、その危険性に気づいたのに、ある意味他人任せにしてしまったのですね。他の関係者に疑問を呈したけれども、間違いがないかを確認するための確実な措置までは採りませんでした。ここが北海道大学のケースとの根本的な違いだと思います。

横浜市大付属病院患者取り違え事件との整合性

埼玉医大や横浜市大のケースと比較しながら、北海道大学付属病院で起こった医療事故で、なぜ起訴までされた被告人の医師に無罪判決が言い渡されたのかを分析してみました。 有罪判決が出た他の事件と比較すれば、無罪判決が出されただけの事情はあるのですが、裁判例の傾向を見る限り、チーム医療で裁判所が信頼の原則を適用することには慎重であることを頭の片隅に起きながら、この無罪判決を位置づけた方がよいと思います。

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