「医療事故の原因究明と責任追及をめぐる医療と司法の対立」を読んで| 医療事故 医療過誤 / 弁護士法人ALG&Associates

「医療事故の原因究明と責任追及をめぐる医療と司法の対立」を読んで

「医療事故の原因究明と責任追及をめぐる医療と司法の対立」
(畑中綾子著、晃洋書房)を読んで

弁護士・医学博士 金﨑 浩之

刺激的なタイトルに引かれてしまい、拝読させていただきました。「医療と司法の対立」がテーマになっているのですから、興味が沸かないわけがありません。私の理解になりますが、著者によれば、これまでの日本の司法は、医療事件の被害者救済に力点を置いて過失や因果関係の要件を緩和し、説明義務違反による自己決定権の侵害も認めるなどで、被害者の救済を拡大させてきたということです。このような司法の姿勢は、医療側からみると患者側の保護に偏っているように映り、医療側の司法に対する不信が産まれたという分析内容になっています。 「そして、この「司法の被害者(患者側)救済への積極的な介入」を著者は司法積極主義と称しています。著者は学者の立場で分析されていますが、学者の目からは、司法は、医療事件の被害者救済に積極的に乗り出しているように見えるようです。 しかし、法曹実務家である私は、これまでの司法が被害者(患者側)救済のために積極的に介入しているとは考えておりません。 例えば、過失の立証に関し、医師の当該医療行為が不適切であったと主張する場合、それが不適切であったと主張するだけでは足りず、「適切な医療行為は何だったのか」を具体的に特定することが求められます。要するに、医師としていつの時点で具体的に何をすべきだったのかを特定しなければならないのです。医学という高度な専門領域の茂みに分け入って、弁護士がこの注意義務の内容を具体的に特定することは必ずしも容易ではありません。 また、因果関係の存否についても、下級審では80%以上の救命確率を要求するものが多く、これが基準となれば、多くの医療事故では医師に過失が認められても因果関係は否定されることになります。肺癌の見落し事例を例に挙げると、肺癌というのは癌の中でも特に予後が悪く、臨床病期がⅠA期でさえも5年生存率70%程度です。ⅠB期で40%台にまで落ち込みます。これまでの判例の傾向を当てはめると、医師に肺癌見落しの過失があったとしても、5年生存率は70%にとどまるのだから、因果関係がないということになってしまいます。要するに、5年生存率70%の肺癌を見落としても、医師の責任は否定されることになるのです。 このような観点からすると、司法は、むしろ医療側にかなり配慮した姿勢を示しており、その姿勢は、むしろ司法消極主義と称したほうがいいと思います。 しかし、これではあまりにも医療側の擁護に偏りすぎます。そこで、登場したのが、いわゆる「相当程度の可能性理論」です。平成12年に最高裁は、因果関係がなくても、「当該患者が死亡した時点でなお生存していた相当程度の可能性があれば、医師は賠償責任を負う」と判示しました。要するに、救命できた高度の蓋然性がなくても(因果関係が否定されても)、延命できた相当程度の可能性があれば、医師は一定の賠償責任を負うことがあるとしたのです。但し、この場合の賠償の範囲は慰謝料に限られ、その慰謝料額も少額にとどまります。 具体的には、200万円から300万円程度の範囲が多いと思います。この「相当程度の可能性」の法理について、司法積極主義の現れと評価することはできないと思います。死亡事故の場合、全額賠償が認められれば、数千万以上になるのが通常だからです。むしろ、日本の司法は、因果関係を原則認めないという司法消極主義を採用した結果、それだとあまりにも医療側の保護に偏るので、少額の賠償責任を認めて、患者側にも一定の配慮を示すという大岡裁きを行ってきたというのが実態だと思います。 この点について、アメリカのケースと比較すると、司法の姿勢の違いが垣間見えます。アメリカでは、一部の州を除き、多くの州の裁判所が「機会喪失の法理」を採用しています。機会喪失の法理とは、例えば、救命率50%の治療法がある疾患について、医師のミスによりこの救命率50%の治療機会が奪われた場合に、救命率50%の治療を受ける機会を法的保護に値する患者の利益と位置づけ、その機会が医師の過失で奪われたのだから、医師には損害額の50%の賠償を支払う義務があるという法理です。この法理が適用されると、例えば患者側の損害額が5000万円の場合、2500万円の賠償を受けられることになるので、日本の司法が採用している相当程度の可能性理論よりも、遙かに高額の賠償責任が認められることになります。 考えてみれば、救命率が50%しかないのに、救命率100%を前提に医師に全額賠償義務を負わせるのは不合理です。他方、救命率が50%もあるのに、救命率0%であったかのように、医師の責任を否定するのも不合理です。そのような意味では、この機会喪失の法理は、医療側・患者側のいずれにも偏ることなく、科学的に未解明な領域の多い医学の実情にも沿い、公平な解決になると思います。 しかしながら、日本でこの法理を採用した裁判例は下級審の中に一部見られますが、多くの裁判例では否定的です。あくまでも因果関係を否定したうえで、相当程度の可能性理論を適用して患者側に一定の保護を与えるという手法が一般的な傾向になっていると思われます。 司法が医療側の保護に偏れば医療不信を招きかねず、また、患者側の保護に偏れば医療崩壊を招きかねません。そこで、医療不信と医療崩壊のいずれも起こさずに健全な医療を促進するためには、過失は厳格に認定し、因果関係は柔軟に認定するのが司法の正しい姿勢だと考えます。 安易に医師の過失を認定してしまうと、医療の萎縮を招き、最終的には国民全体にとって大きな不利益となります。したがって、医師の過失認定には慎重であるべきです。他方で、それでもなお医師の過失が認められる場合には、因果関係を柔軟に認めても医療の萎縮を招くわけではありません。逆に、因果関係を原則否定するような解釈論だと、医療ミスを犯した医師の多くは、因果関係が否定されたお陰で免責されることになりますが、そのようなことでは国民から医療に対する信頼は得られません。

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